笑顔も元気もいらない場所を、あなたに

menu

名も無き場末のスナック

性の悩みに罪悪感は必要ないのだ、と小夜子が思う3つの理由

夜を愛する女、小夜子です。

性のテーマが続きますw

今日は、そもそもなんで私が性の話をしたいのか、
何を伝えたいのか、

一番根本にある思いを書いていきます。

私が伝えたいことはたった一つ。

性のことに関して問題を感じている人、悩みがある人にお伝えしたい。

「あなたは悪くない」

ということ。

罪悪感を持つ必要はないのだということを、声を大にして伝えたいのです。

あなたは悪くない、というと

じゃあ性暴力は?痴漢は?不倫は?すべてを許せばいいのか?という問いにぶち当たります。

そこで大前提となるのは

◆自分で蒔いた種は自分で刈り取るしかないのだ

というこの世の真理は忘れてはいけません。

自分で犯した罪の代償(犯罪行為であれば服役する、とか)は自分で引き受けるしかありません。
当事者以外の人は、本人がその代償に向き合うことを決して邪魔してはいけない。
(罪を隠すために協力する、肩代わりする等。中途半端な優しさは問題をこじらせるだけですからw

浮気・不倫行為であれば自分にとって大事な人や信頼を失う可能性は多いにあるし、

他にも、たとえば性行為には常に感染症や妊娠などのリスクが伴う。

そのリスクをコントロールする義務も、
自分の行動が招いた結果を引き受けるのも当然ですが本人です。
(周囲の人はきちんと「境界線」を引いて、責任を肩代わりしないことが何よりも大事です)

責任は自分でとるんだよ、という大前提が基本にある。
それなのに「罪悪感」は必要がないとはどういうことか。

3つの理由があります。

①罪悪感は何も生み出さないのだ

なにか、いわゆる「過ち」を犯したとして
必要なのは「罪悪感」ではなく「反省」と「変化」。

罪悪感は、実は何も生み出さない。
生み出さないどころか、より「問題」を大きくしていくと小夜子は考えます。

多くの人間(一部のサイコパス型欠落者を除く)は、最初から「悪いことをしてやろう」とは考えない。

◆人生に何かしらの生きづらさ・苦しさを感じている

◆苦しみから逃れようと、不適切な行為をしてしまう

◆そんなことをした自分を責める、罪悪感に苛まれる

◆こんな自分はダメなのだ、と落ち込み
人生への生きづらさが強化される

繰り返し・・・(むしろ、より問題は悪化していく)

という、負のループの中で苦しむ人のいかに多いことか・・・。

そして罪悪感をこぞって煽る社会でもある。

テレビのニュース・ワイドショーを見ても、
「吊るし上げる」「批判」
そんな「相手を責め立てる」エネルギーはどこにも満ち溢れていますよね。

最初に戻るけど、
「自分がしたことの代償は自分で償うべき」という思いに変わりはありません。

が、だからといって誰かに
「罪悪感を背負って生きていけ」と命令する権利は誰にもないはずです。

むしろ、本当に誰かの更生を願うのであれば

罪悪感、は反省に
反省、は未来への行動の変化に

そうやって転換していくことしか、本当の問題解決にしか繋がらないと小夜子は信じている。

 

②性に対して私たちは無力であったのだ

で、ことに「性」に関する分野では私たちは長いあいだ無力であったと思わざるを得ないのです。

前記事:性へのタブー・罪悪感・恥の意識はすべて歴史から。夏目祭子さんに学ぶの記事でも触れましたが、
「性」の話は誰にも関わること・命の根源・大事なテーマ。

であるにも関わらず、長いこと封印されてきたテーマでもある。

「お金」の話と似ているなと思う。

お金も、誰にも関わる重要テーマであるにも関わらず
「お金の話をするのははしたないこと」と、長年タブー視されてきた。

一方で「お金のトラブルは自己責任」と突き放されるのに。

「お金」でもそうなのだから、「性」となるともっと「恥」の気持ちと結びつく。

でも歴史を紐解くと、そこには根深い「権力者からの洗脳」があったわけですよ。

一般庶民が、お金の知恵をつけたり、
「性」の持つポジティブな側面を知り、みんなが「幸せに自立」していってしまったら・・・

力を自分に集中させたい権力者にとっては、それは脅威でしかない。

庶民は、物事を深く考えず
幸せはなにか、なんて追求せず
大事なことは秘めたるものとして表に出さない。

そんな従順で無知でないと「困る」人たちが確実に各時代に存在していたのです。

(ちなみにこの現代でも「自民党」は性教育反対のスローガンを堂々と掲げています)

けれど確実に現代は変わってきている。

お金の話も、続いて性の話もオープンになっていく風潮は確実に広がっていると小夜子は思う。

だからこそ、必要な人は学んだり、語り合ったりすればいいと思う。
今までいかに「性」に対して自分たちは学ぶ機会がなく、
ネガティブな思いを植えつけられていたか。
無力であることを余儀なくされていたのか。

それを知ることで「全ては自分の責任だ」という思い込み罪悪感から少しでも解放されたら
それは必ず幸せな一歩につながっていくのだから。

 

③行為と存在は切り離されるべきではないだろうか

最後は「神」がかった視点になっちゃうのですが。
しかも小夜子もまだまだ「練習途中」の身なので、決して悟ったわけではないのですけどねw
(今でも夫にムカついたりするし)

たとえばですね、

仮に「問題ある」行為をしたとしても、
だからってその人に「死ねよ」なんて言っていい理由にはならないじゃないですか。

(法律で死刑と裁かれたらなら、現行の法律制度であればそれを引き受けるとしても。)

小夜子はなにか特段に信じている宗教などはないのですが、
神様(仏様でも、ハイヤーセルフでも、宇宙でもなんでもいいのだけど)
ものすごい大きな視点から見たら、きっと全ての人間は「許されている」のだと感じるようになりました。

(長年知識として持っていた「許し」が、最近やっと「そうかもなあ・・・・」と感覚的に腑に落ちてきたというかんじ)

 

何かをした・しない

という行動

その人の存在そのもの

は、本来切り離されていて、

誰しもが大切な存在なのです。

もしかしたら、そこに気づくために私たちは時に試練を与えられるのかもしれません。

 

以上、最後はちょっとスピリチュアル風味になりましたが
小夜子の思いは変わらず「悩んでいる人の力になりたい、自分の経験を伝えたい」

という一言に集約できてしまうなあ・・・と気づいた次第です。

で、なぜ私が「性」をテーマにこんなことを学んだり、考えたりしたかといいますと・・・
ここから、
ようやく本当に書きたかったテーマ(書きたかったことがたくさんあるw)
「性(セックス)依存性」という闇のお話に続いていくのです・・・

ここからはまた次回!よかったらご覧下さい。

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

カテゴリー

カレンダー

2019年9月
« 5月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30