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名も無き場末のスナック

絶望の時代に必要な子育てとは何かについての私的考察

小夜子は子育て真っ只中の人間であるが、
子育てについての記事があまり多くないのは、ひとえに

「自分の子育てについて全く自信を持っていない」

という一言に、尽きるのである。

だって、たまに子育てがうまくいった(風に見える)現象があったとして

「だから、子育てはこうすべきです!!!」

と記録しちゃったくせに、

数年後に、そんな我が子が、

犯罪者なり、いじめの加害者だったり被害者だったり、

になる可能性があることを考えると、

実は小心者の小夜子は、子育てを語る気には全くならないのである。

 

そんな私から言わせてもらうと、世の中の「子育て」語る人っていうのは、

 

★自分に自信がある(根拠がある、ないは問わない)

★子育て終わってて、それがうまくいったという結果がある(結果はひっくりかえらない)

★そもそも、そんな先のことまで考えずに今思ったことを気軽に発信している

 

の、どれかに当てはまる気がしてしまうのだが、
いかがであろうか・・・
(もちろん、どれが良い悪いではなく)

 

で、なんでこんなことを書く気になったかというと、
誰のためでもない。

自分のために、改めて記録しておこうかなと思ったことがあった。

 

小夜子が昔よく使っていた駅の近くで、殺傷事件が起きた。
(川崎殺傷事件)

小学生と、見送りに来ていた保護者が命を落とし、多数の傷ついた人々。
多くの犠牲を生みだした事件。

犯人は自殺を図り、その真相は知るべくもない。

 

知るべくもないが、なぜ彼が犯行に及んだかをニュースやワイドショーは分析する。

私は、できるだけそれを知りたいと思ってしまう。

 

人が絶望しきった時にとる行動は、究極には二つしかないのではないか。

他人を殺すか

自分を殺すか。

 

偽善者ぶるつもりはないが、私には後者の気持ちしかわからない。

自分がいなくなってもいいと思ったことは何度もある。

しかし、前者の気持ちがわからないのは自分の実力でも特性でもなんでもなくて、

ただ単に、自分が恵まれた境遇にいたからなのかもしれないな、とも思う。

 

 

子育てをするようになって、少し物の見方は変わる。

自分がいなくなってもいいという思いはゼロにはならないが、

自分の子どもたちに、同じ思いは絶対にさせてはいけないという誓いのようなもの。

自分の子育ての目標は、つまるところそれしかない気がしている。

 

 

自分を殺さないこと

他人を殺さないこと

 

日々、当たり前のような
日のあたる世界で子育ての日々を過ごしていると、そんなささいな目標を言葉にする機会もない。

当たり前すぎて。

 

「私は自分の子どもを、殺人犯にしないようにしたいです」

そんなことを言ったならば、どれだけ変な目で見られることか。

(言ったことないけど・・・)

 

確かに私の目に映る世の中の風景は、いたって平和である。

親は子を第一に守り、愛し、いたわる。

子どもは愛されていることに十分な信頼を持ち、無邪気である

ように、見える。

 

しかし、小夜子は思うのだ。

目に見えないものこそ、自分の近くにあるのではなかろうかと。

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